溝井喜久子さんを訪ねて(昭和28年卒 東松山市在住)
各種メディアに紹介され、会報第1号にもご登場いただいた溝井喜久子さん。新生松山女子高校同窓会ホームページ「シリーズ同窓生」第1回はこの方しかいないと、インタビューに出かけました。 穏やかな笑顔で迎えてくださった溝井さん。最高に魅力的な方です。声のはりと話し方、お話の楽しさに時間を忘れてしまいました。
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どのような生活を?
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朝起きると、朝食をツイッターにアップ。家族への元気メッセージにもなっているの。各部屋にタブレットを置いて、いつでもどこでも配信しているわね。夜中でも配信することがあるの。寝不足?いえいえ、日本は夜でも、世界は昼よ。フォロワーは世界中にいますから。
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64歳でパソコンを始められたきっかけは?
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広告に載っていたパソコンを見て、欲しくてたまらなくなったの。すぐにお店に行って購入。説明書を見ながら、自分で接続。見様見真似で始めたんですよ。
とにかくやってみること。やってみなければ、いいも悪いも、自分に合う合わないもわからないんだから。でも、始めたら、世界が広がったわね。世界中の人とつながることができるんだから。
株取引や、マイナンバーカードの申請、確定申告も、居ながらにしてできるし。若い人と一緒にいても、わからない、知らないでは、話にならないでしょう。あと10年もしたら、もっとデジタル化は進むだろうし、知らないと困るわよ。
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人生のターニングポイントは?
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ないわね。パソコンを始めたのも大きなことではないの。いろいろあったんでしょうけど、それを、大きなことだと感じたことはないの。
ただ、常に学びたいという気持ちはありました。小さい頃から、広い世界に出て、もっともっと学びたかった。高校時代、テニス部やバレー部は強かったけれど、私は進学クラブ。とにかくいろいろなことに興味があって、学ぶことに貪欲でした。
そしてね、いやなことはしない。やりたいように生きる。だから、後悔なんてないのよ。
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どんな高校生活を送られましたか?
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戦争中は、食べるものもないし、大変な思いもしましたね。
ただ、松山女子高校に入学したのは、昭和25年。新制中学、高等学校が発足して間もない頃だったから、いろいろな変化がありました。
私たちの代の新入生は、200人くらいいたのだけれど、その上の代は少なかったわね。高等女学校出身がステイタスになるような時代だったから、あまり勉強するという雰囲気はなかったのだけれど、わたしはとにかく勉強がしたかった。
制服がセーラー服になったり…。それも生徒会が決めたり、ね。まさに「変化」の時代だったのでしょうね。
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それぞれの世代へのメッセージをおねがいします
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〇現役松女生へ
とにかく勉強してください。
〇現役社会人へ
常に学んでください。そして、貯蓄もしておくこと。若い世代に頼る時代ではありません。自分の老後の設計はしっかりしておかないと。
〇リタイア世代へ
お友だちをたくさんつくること。人間関係を大切にしてください。財産です。
私はたくさんの習い事をしてきました。お茶は今でも習っていますし、おつきあいも続けていますよ。
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今のお楽しみは?
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ツイッターを通して、いろいろな人とやりとりができるのは楽しいですよ。
そして、こうして、若い人たちとお話しするのもね。
ツイッター仲間と、女子会を開いたりすることもあるんです。みなさん、ここに集まってくださって、よくおしゃべりするんですよ。
人間関係は、宝物ですね。
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女性が素敵に生きるひけつは何ですか?
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自分の考えを持つことです
インタビューを終えて
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すっかり長居してしまった私たちを、溝井さんはまた、素敵な笑顔で見送ってくださいました。
インタビュアー二人、大きな感動とパワーをいただき、それは今でも心の中にあります。毎日のツイッターで、新聞記事や社会問題についても意見を述べられている溝井さん。人生、いつでも、いくつになっても、視野を広く持ち、学ぶ心を持ち続けたいですね。
溝井さんのように、いつまでも健康で、輝いて生きるために。